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「美味しくない」と素直に言えますか?
あなたは友人のホームパーティに招待されました。テーブルには友人の心尽くしの手料理が並べられています。
あなたはその一つを口にしたら、おいしくありませんでした。そのとき、友人が近づいてきて、「私の料理はお口にあっていますか?」と聞いてきました。あなたならどう答えますか?
「不味くて食べられません」と正直に答える人は少ないと思います。
私たちは社会生活をスムーズに営むために、相手の気持ちを傷つけない、もう少し堅苦しく表現するならば、相手の尊厳を守るための配慮をします。
そのためには多少の嘘をつくことや、演技をすることもあります。
そのような人間の社交上の営みを研究した、アービング・ゴッフマンという人がいます。ゴッフマンの考えの核心は相手のみならず、自分自身のface(顔や体裁)を守ることが社会では重んじられているということです。
彼のfaceの考え方が、レヴィンソンとブラウンという2人の研究者によってポライトネス理論へと発展します。中国や日本では「相手の顔を立てる」「相手のメンツを潰さない」という考えが、社会では重んじられていたため、ゴッフマンたちの考えは広く受け入れられました。
対話における「face」の問題
対話においても、face の問題は重要になります。私がコーチングやカウンセリングをした時、クライアントからしばしば、「松下さんがよく話を聴いて下さったので、気持ちがスッキリしました。ありがとうございます」と言われることがあります。
「残念ながら、あなたのコーチングを受けて、全く効果がありませんでした」とハッキリ言うクライアントはほとんどいません(悲しいことですが、過去に2、3回、そのように言われた経験はありますので、ゼロではありません)。
つまり、クライアントの褒め言葉やお礼の言葉をもとに、カウンセリングやコーチングの評価をしてはいけないということです。
自分の都合の悪いことを言わないことも、しばしば起きます。
対話の席ではありませんが、政治家がしばしば、都合の悪いことを聞かれたら、「記憶にありません」と答えるのは、政治家としての自分の地位を守るとともに、face を守るための行為が一部含まれているという見方も可能です。
「人間はいつも本音で語るとは限らない。時には嘘もつくし、演技もする生き物である。」と考えたほうが、社会生活を安全に暮らすためには有効だと思います。
相手の発言のなかで「キーワード」を見つける
対話において、相手の発言の中でキーワードを見つけることが重要ですが、そのためにはキーワードでない言葉を見分けて、除外する必要があります。
除外の第一候補が、他ならぬ、faceやポライトネス(礼儀正しさ)に関わる言葉です。
「営業本部長のご発言を聞き、豊富な現場でのご体験と、確固たる信念に基づいたものと感銘を深くしました」という類の発言はキーワードから、もちろん、除外です。
しかし、ポライトネスは、このようなあからさまなものは少なく、隠れた形で表現されます。対話の研究をしていて、逆説の接続詞+言葉の中断は、ポライトネス表現の一種ではないかと思うようになりました。
例えば、「あなたの意見は的を得ていると思うんですけど...」で言葉が切れてしまうような発言です。「けど」は逆説を示す接続詞ですから、接続詞の後では、前に述べられたことを打ち消す内容がくるはずです。
例えば、「あなたの意見は的を得ていると思うんですけど、私はその意見には反対です」などになるかと思います。
実際は、「けど」に続く言葉はありません。はっきりと反対であることを表明することを控えたのは、意見を言った人の体面を傷つけないように配慮したのか、あるいは、はっきりと言い切るだけの自信がなく、自分のfaceが傷つくことを恐れたのかもしれません。
「あなたの意見は的を得ている」と儀礼的に言っているだけで、キーワードではありません。
しかし、「的を得ていない」と本当に思っているかどうかも不明です。
多くの対話データを分析していますと、逆説の接続詞を逆説ではなく、ポライトネス的な表現として使っている人が多いのではと私は考えています。
対話において相手を尊重し、faceを傷つけないという配慮は必要ですが、自分が本当に言いたいことを伝える時は、相手にも、自分にも遠慮しないで、シンプルに、はっきりと、発言した方が、相互の理解は深まります。
とくにビジネスでは、相互の理解が不十分だと、トラブルの原因になるリスクがあります。
この記事を書いた人 松下信武(まつした のぶたけ) 「わたし・みらい・創造センター(企業教育総合研究所)」 上席研究員。エグゼクティブ・コーチ。バンクーバー、ソチオリンピックに日本電産サンキョー・スケート部のメンタルコーチとして参加。北京オリンピックでは候補選手の支援を行う。 |